2012年8月4日土曜日

2012.7.22 仮設住宅での嬉しい再会・・・・


仮設住宅で、みんなでつくって、みんなで食べようという「団地ごはん」。
その第1回目に参加してくださったのりこさんに、
運命的な再会をしました・・・。

しかも、のりこさんとの再会をつないでくださったのは、
「団地ごはん」を発展させた「食でつながろうプロジェクト」で
家庭料理をつくっていただいた澄子さんです。
(6月から三陸河北新報社、河北新報社の方や漁恊たちと
「食でつながろうプロジェクト」を行っています。)

澄子さんから連絡が来て、
「いしのま★キッチン」で働いてくださる可能性がある
お母さんを紹介してくださる、とのことでお家に行ったのですが・・・・

お料理上手の澄子さん。

「鹿島さん、この方」と紹介してくださった方を見て、
「あーーーーーーーっ」と鹿島が叫び、
向こうも「あーーーーーーーーーーーっ」と叫びました。
だって、そこにいたのは、
の・・・のりこさん!!!!!!だったのです。(半年ぶり)。


去年の8月に、初めての「仮設団地ごはん」に
参加していただいたのりこさん。
2011年8月16日。
最初の「団地ごはん」で、ごはんをつくってくださったのが、
のりこさんはじめ6名のお母さん。
海外から来たボランティアの学生さんたちに、
あたたかな料理を提供していただきました。
はじめ、まったく見知らなかったお母さんたち同士が、
料理をつくるうちに、どんどん仲良くなっていって、
家でおちゃっこをするようになって、元気になって、
笑ったり泣いたりして、そういう姿を教えてくださった思い入れの深い
お母さんたちのチームなんです。

当時は、集会所の鍵をあけるのはたいへんで、自治組織もできていなかったため、
みね子さんのお家にみんなで集まっていました。

そして、こうやってみんなで料理をつくったり食べたりするのはいいね、
という話をする中で、
「鹿島さん、私たち仕事を無くしてるから、
お店つくって雇ってよ」と冗談ぽく言われて。

その時は、「いやー無理ですよ。でもそうなったら、
本当にいいですね」という会話をしたこと、今でも覚えています。
そのお母さんと、「いしのま★キッチン」のスタッフさん候補として、 
再会している。嬉しい・・・。

そして、そのチームのおちゃっこは、
なんと・・・ 1年たった今でも、毎週、金曜日に続いているとのこと!
心があったかくなって、感慨で震えるできごとでした。


↓ はじめての仮設住宅での「団地ごはん」の様子です ↓

皆で料理 友達作り宮城・石巻市
炊きたてのご飯を握りながら、佐藤みね子さん(66)がつぶやいた。「仮設住宅に移るまでしばらく料理してなかったから、味が心配ね」。周りの4人もうなずいた。宮城県石巻市の「仮設開成11団地」の集会所。手際よく60人分の昼食作りが進んだ。
 団地への入居は6月中旬から。今は292戸の6割近くが埋まり、467人が暮らす。集会所で開かれたイベントで、ボランティア団体が「海外の学生が被災地の生の声を聞きたがっている。昼食を作り、懇談していただけませんか」と呼びかけた。
 佐藤さだ子さん(66)は10人を超す友人を亡くし、「残った自分が周囲の役に立とう。その一歩だ」。そう思って真っ先に手を挙げた。「入居しても知り合いは少なく友達がほしかった」という4人が続いた。
 面識がなかった5人は早速メニューを考えた。団地の名を取ったメーン「開成汁」は、どんな宗教の人でも食べられるようコンニャクや油揚げ、根菜類で作り、肉は避けることにした。
 迎えた今月16日。役割分担が自然と決まるまでに5人は打ち解け、お握りにはいつの間にかのりが巻かれた。阿部洋子さん(67)は「1週間前に出会ったのに、何十年来の友達みたい」と感じた。
 「今年は盆踊りしなかったねえ」。学生と談笑していた時に声があがり、「みんなで踊るっちゃよ」。踊り好きな辺見とよ子さん(67)が先に立ち、全員で輪になった。5人が小さい頃から踊り親しむ民謡「大漁唄い込み」。学生に手ほどきをして、場は笑いと拍手に包まれた。「1人だと亡くなった人のことを考え、落ち込んでいた。やっと本当の自分に戻れた気がする」と、内海博子さん(74)が笑った。
 「独り暮らしの人の食事会を開こう」「ボランティアにもお弁当を作ってあげたいね」。5人の目標が広がっている。(川添響子)
2011824日  読売新聞)
※816日、18日の「ぐるぐる応援団」での活動(はじめての団地ごはん)を取上げていただきました。

牡鹿で穫れたクジラの汁。澄子さんの手づくり


澄子さんがつくったアクセサリーを見るふたり

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