今日は、川開き祭りの本番!
きれいな青空に、七夕飾りが、なびいています。
震災4年半にして、初めて復活となった七夕の吹流し。
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竹にかざられた吹流しがいっぱい!
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いつも見る立町や中央、アイトピア通りなどの商店街が本当に華やか!
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顔です! |
私が体験した初めての川開きは、2011年の夏。
震災で家やご家族を亡くした中学の女の子たちが「甚平、ねだって買ってもらった!」といつもと違う雰囲気で現れました。そうして、知ったのが川開きのお祭り。
当時、泥かきのために作業着を来ていたボランティアが多かったのですが、地元の人たちはなんとなくいつもと違う雰囲気。浴衣をきたり、明るい服を着たりしていました。
今日は楽しみたい、そういう風にいう女の子たちに薄くお化粧をして髪をかわいくして送り出して、私たちは子どもたちとお祭りに行くことにしました。
よくわからず、地味な色のボランティアと明るめの地元の人たちのコンビネーションと泥と屋台がまじって、がなんだか不思議な雰囲気の日だったのを覚えています。
いっしょに行ったのは、渡波の避難所の裏手のワタノハウスの翠ちゃんや、子どもたちと町のカケラ(元は生活の品だった瓦礫)でオブジェをつくっていた「ワタノハスマイル」の犬飼ともくん。
ともの運転する軽ワゴンは、荒れた道を進む度に大きくバウンドしたりして、膝の上に乗せた子どもたちを抱えながら、北上川の上に打ち上げられる花火を見ました。
川の周りの被災した家々には、まだ、灯りもと持っていなくて
闇色を写した川の上に、花火が鮮やかでした。
亡くなったたくさんの人たちへの気もちを込めて、打ち上がる花火を見ていた2011年…。
大震災があって、川開きのお祭りを開くかは、かなり議論があったそうです。
しかし、鎮魂の意味や復興への誓いを込めて開催したい…
そんな声も多く、開催を決意したとのこと。
しかし、痛んでしまった内海橋の周辺にぽつん、ぽつんと屋台が並んでいるような状態で、道の左右に屋台がびっしりと並んで人でごった返すいつもの年とは、比べようがなかった… そんな風に、地元の方たちは言います。
石巻の人々にとっては、年に一度のハイライト、ソールフェスティバルであることを後から知りました。
そrから、4年半。
今年は、屋台もたくさん出て、七夕の吹流しも復活した記念すべき年でした(•̀ᴗ•́)و ̑̑
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キッチンのコミュニティスペースで日々、制作していた吹流し |
「いしのま⭐︎キッチン」のコミュニティスペースで、制作をされた吹流しも…
発見!
でも… 風にあおられて少ししか見えない!!
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この写真のいちばん見えにくい
真ん中なんです!(´・ ・`) |
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これは折り紙でつくった飾り。
キッチンのコミュニティスペースからも、いくつか登場。 |
震災の後、毎年、応援してくれている県外からのチームの飾りもあったし、元ボランティアの人たちも大勢、石巻に来ていました。
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これはAP Bankの吹流し!
きれいなグラデーションで目立っています |
キッチンのリニューアルを大ボランティアしてくださった乃村工藝社制作の飾りもありました。薄い上品な水色が中心の吹流し。さすがです!
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お世話になった乃村工藝社の方たちが
制作した吹流し(左) |
吹流しの制作を主導したISHINOMAKI2.0のしのちゃん、商店街の方を初め、皆さんもおつかれさまでした!
わーい、吹流し復活!!おめでとう!
みんなが、本当に浮き浮きした顔をしていて、こちらまで嬉しくなりました!
相変わらず、私は裏方でしたが…(笑)
お祭りの参加も、もう何と4度目の参加。
初めの年にボランティアやインターンで手伝ってくれたのは、
茜ちゃんや川上くん、そして右腕だった佐々木ヒロちゃん。
つぎの年は、川上くんや何名か。
去年は、キッチンのスタッフに加えてみずほちゃんがいっしょでした。
今年は、あすかちゃんやTOKUさんが手伝ってくれて、地元のお母ちゃんたちも手伝ってくれました。
最近、会っていない皆はどうしてるかなあ・・・。
なんて思っていたら!
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おお
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顔を出してくれました。元インターンだった庄司茜ちゃん。
キュートで、かわいい浴衣姿!
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元気そう!インターンの頃ももててました(❁´ω`❁) |
もう、社会人になって2年目!
お祭りでバタバタしていてあまり話せませんでしたが…
元気そうな顔を見て、一安心。
またね!
鹿島